2015/02/24

三重県建築士会 伊賀焼~素材紹介~

三重県伊賀地方の焼物。
伊賀焼が独自の個性をもって作陶をなしたのは桃山時代に入って、わびの茶の湯の道具、いわゆる茶陶を焼造してからのちである。先の槇山窯と同じ町に築かれた丸柱窯、および伊賀上野の城内にあったと推定される窯などが知られている。
茶陶の文献上の初見は1581年(天正9)の『天王寺屋会記』であり、この時期この地方を領有した筒井定次(さだつぐ)、そして交替した藤堂高虎(とうどうたかとら)・高次父子の時代、天正(てんしょう)・文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)・元和(げんな)・寛永(かんえい)(1573~1644)にかかる桃山~江戸初期が最盛期で、その後は一気に凋落(ちょうらく)したらしい。
白色の良質な器質(せっきしつ)素地を中世以来の伝統的な粘土紐(ひも)造りで成形して豪放に焼きしめた水指(みずさし)、花生(はないけ)はとくに声価が高く、わびの美意識を象徴するといえよう。藤堂第7代藩主高豊(たかとよ)は伊賀焼を再興し、古伊賀とは違った施釉陶(せゆうとう)を焼造し始めた。
復興伊賀は瀬戸から陶工を招聘(しょうへい)し、宝暦年間(1751―1764)に始まるといわれており、瀬戸と同じ施釉陶が焼かれ、以後、黒褐釉、白濁釉、青釉、鉄絵、染付、色絵など、時世にあった技術を使って、主として日常器皿(きべい)を生産し、今日にいたる。
『林屋晴三編『日本陶磁全集 13 伊賀』(1977・中央公論社)』
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長谷園 旧登り窯(登録有形文化財)
iga01.jpg
iga02.jpg iga03.jpg
長谷園 大正館(登録有形文化財)

長谷製陶㈱は、三重ブランドにも登録されており、施設を一般の方に開放し、自社だけでなく、地域全体の伊賀焼の振興のため、ギャラリーを設置し、地元陶芸家などの作品展示や販売を行っている。
伊賀焼に使用される土は、300万年~400万年前に堆積した古琵琶湖層といわれる地層から採れる「伊賀陶土」で、耐火度が高い特徴を持つ粘土です。
2014/11/26

三重県建築士会 伊勢木綿~素材紹介~

伊勢木綿の歴史
かつて伊勢の国地方は、室町時代に綿の種が伝来し、土、水、天候、冬場の肥料である鰯に恵まれ一大産地になりました。
かつては、農業の副業として始まった木綿づくりも伊勢商人の手により江戸へと販路は広がり、伊勢の国からきた木綿を「伊勢木綿」と称し今日も全国でその名を耳にするようになりました。
現在、伊勢木綿は地元「臼井織布株式会社」のみでしか生産されていない非常に貴重な物となっており、今も古き良き伝統を継承しています。

津市一身田大古曽にある「臼井織布」
usui.jpg

伊勢木綿の特性
伊勢木綿は、柔らかな肌触りと、伝統ある色、柄、風合いが今なお多くの人に愛されつづけています。
木綿織物の柄は、基本的に産地による違いは少なく、今も昔も縞や格子柄が中心、独自性が出るのは糸と染織で、糸の種類や太さを変えるだけで、織りあがった布の風合いは千差万別です。
伊勢木綿は、単糸という一番ベーシックな糸を使用しています。 
それは、切れやすくて織るのが非常に難しく、いい綿を使った単糸でないと織ることが出来ません。 その、こだわりの単糸を使った伊勢木綿を織り上げるには、100年以上も前の豊田式織機を現役で使っています。
isemomen.jpg

豊田式自動織機
伊勢木綿を織るに欠かせないのが、歴史ある豊田式の自動織機。
明治時代より受け継がれた、今では製造廃止の豊田佐吉による名機です。 全国的にも珍しい自動織機が当時と変わらない風合いを生み出す伊勢木綿。
一反13m織るのに丸1日要するとの事ですから、その生産スピードは決して速くはありません。 もし、最新式の早い勢いのある機械で織れば、伊勢木綿の場合、柔らかな単糸を使用するので、糸が切れ生産することが出来ません。

臼井織布見学風景
kengaku.jpg